無差別殺人などの犯罪を防ぐには、すべての人が希望を持てる社会にすること!


新幹線のぞみ車両内で起きた無差別殺人事件。「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。」

同様(動機)の事件を思い出すと、10年前の「秋葉原無差別殺傷事件」18年前の「17歳少年によるバスジャック殺傷事件」そのほかにも、深夜に路上の通行人を刺した事件など数多くあります。

なぜ、このような事件を起こしてしまうのでしょうか?

誰も赤ちゃんのときから起こしてやると思っているわけではありません。どこかのタイミングでサインは出していると思います。まわりの人間(社会全体)がこのサインを見逃さないことが大事に至らないことでもあります。

※サインとは、助けてほしいというサインです。加害者も被害者なのです。

何から助けてほしいのか?それは見放されることから助けてほしいのです。

秋葉原の事件にしてもバスジャックの事件にしても、加害者は子どもの頃は、まじめで勉強ができて、親の言うことをよく聞く、従順な子、いわゆる「いい子」であったことが報じられています。(※行為障害は別です)

ところが、あることから「挫折」を感じて、自分はダメだ!誰からも見放された!もう生きている意味などない!というように偏った価値観をもってしまい、自暴自棄になり、思考は混乱し、冷静に客観的に考えられなくなり、脳の中央で湧き起る感情だけに支配され、全く制御できなくなったときに、自分に対する不満や怒りが自分だけに向けられたケースでは自殺に走り、自分と社会に向けられたケースでは、「誰でもよかった!」と無差別殺人に走ることがあります。

全く制御できなくなる限界が訪れる前に、彼らの出しているサインに社会全体で気づいてあげることが今最も早急に必要なことであると思います。

そして、孤独にしてはいけません。人間は誰でも孤独に耐えられないものなのです。耐えられないようにできています。

だから、人間を孤独にしてはいけません。孤立させてはいけません。

孤独は生きる希望を失います。

自ら「ひとりがいい!」という人はいますが、それは自分の中に「安心がある」ケースで、どこかで人とのつながりも持っているのです。自分が仕事を通して生きがい、やりがい、自分は認められているという自信、そうしたものが「安心」であり、それがある間は、ひとりでも大丈夫なのです。

ところが、社会ともつながりがなく、人ともつながりがなく、求めているのに得られないケースでは、人はどんどん精神的に追い込まれていきます。

つながりがない=不安 となるのです。安心のない状態は、人間にとって「恐怖」なのです。

つながりがない=不安=恐怖 となります。

この「恐怖」 怖いと感じる気持ちが募ると、ここから逃れたい欲求から、人はサインを出します。

子どもであれは、泣く。騒ぐ。わめく。 サインです。気持ちを表現しています。

それでも放置されると、それが「怒り」に変わります。

つまり、あらゆる「怒り」の裏側には、そうした寂しい、悲しい、怖い、不安だ、というような感情(気持ち)があるのです! ここ覚えておいてください。

怒りに隠された本当の気持ちに寄り添うことが、その人を取り巻くまわりの人に必要なことなのです。

 

そして、怒りが犯行となって表れるまえに、周囲は気づいて、加害者も被害者も出さない社会にしましょう。

 

子どもは社会の子。家族だけの問題ではありません。親だけのせいにしてはいけません。本人だけのせいにしてもいけません。対岸の火事のように傍観者であってはいけません。

私は関係ないわ!と関心をもたないことは、実はあらゆる事件を未然に防ぐことを放棄していることと同じと言っても過言ではありません。そういう人が被害を受けると大騒ぎになって怒ります。他者のせいにします。

ですから、怒る前に、何にでも関心をもって、自分も社会を構成する一員として、考えていただきたいのです。

 

あらゆる犯罪を防ぐには、ひとりの人間を取り巻く社会全体が、みんなが関りをもって、子どもから健全なおとなになる過程を見守っていく社会づくりが必要です。

人間はもともと自分のことしかわかりません。自分のことでさえ、わからなくなることがあります。

親子でも家族でも自分が産んだ子でさえも、生まれ持つ気質はちがいますから、わからなくて当然です。ですから、理解し合うためには言葉があります。気持ちを言葉や表情、態度を使って表現します。

ただ、その表現の仕方(方法・手段)がよくわからないと、自分の気持ち(感情)をどのように表していいかわからなくて、「怒り」という形で表現したり、「破壊」という形で表したりします。

つまり、私たちは、つねに事象だけを見て判断や批判するのではなく、その事情を起こす心の奥には、複雑な感情があることを覚えておく必要があるわけです。

まずはここだけでも念頭に置いていただければ幸いです。

次に、このような事件を起こさない人の中には、「挫折がなによ!そんなことでクヨクヨするな!」という人もいます。

それは、自分と加害者とは、生まれ持つ気質も育ったときの環境や社会的背景も何もかもちがうから、「自分だったらそんなことしない!」は通用しないのです。

とにかく、「感受性」というものがみんなそれぞれちがうのです!ここを覚えておいてください。

100人いたら100人ちがいます。敏感か鈍感か?何に対してそうなのか?何をどのように感じてしまうのか?

これは感覚的なもので、暑い寒いの感じ方もちがうように、甘い辛いの感じ方もちがうように、出来事や人に対して感じる感覚的なものがみんなちがうのです。

ですから、その人にその気持ちをよく聴かないと、親も先生も友人もまわりの大人もみんなわからないのです。

当人もコミュニケーションスキルを磨いて、懸命に表現しないと相手に理解してもらえないのです。それでも、その人になりきれるものではありませんから、理解できなくても、「あなたはそう感じているんだね」とわかってあげることはできるはずです。ここもよく覚えておいてください。

たとえば、当人が、打たれ弱い、挫折しやすい、何事もストレスに感じてしまいやすい気質をもっていたとしたら、それが自分の子どもだったら・・・親は、「この子、私とはちがう!なんで?どうして?」と悩むことはあるかもしれません。

しかし、いったん悩んだとしても、気持ちを切り替えて、「そういう感覚をもっているだけ」と捉え直しをしてください。

ここで、「なんで私とちがうの!」と責めてしまうと、子どもはとても寂しい気持ちになります。悲しくなります。

ひどいケースでは、父親とも母親とも異なる気質をもっていると、「おれの子じゃない!おれに似てない。おまえ浮気してできたのか?」と母親を責める男性がいます。母親も「私にだって似ていないわ。あなたの親に似たんじゃない!!」と言い返して激しい争いになるケースもあります。

この場合、子どもはとても寂しく、悲しく、つらい思いをします。子どもは親を愛しています。

愛している親にそんなふうに思われているとしたら、どんなにつらいことでしょう。これも覚えておいてください。

たとえ、能力も容姿もすべて似ていなくても、それはあり得ることです。人類の歴史は長く遺伝子にはさまざまな遺伝子情報が含まれており、そのどれが子どもに出ても不思議ではないのです。ですから親と似ていないこともじゅうぶんあり得ます。

親子でもちがいを認めてください。

ちがいを受け入れてください。

そして、もし、その子が生きていく上で「生きづらさ」を抱えているとしたら、子ども自身がそれと向き合い、自分の課題を克服して乗り越えていけるように、まわりの人みんなでサポートして、見守りましょう。

これが社会で育てていくことです!

決して、追い詰めないでください。叱責しないでください。怠けているわけじゃないのです!ふざけているわけじゃないのです!決して、追い詰めないでください。

追い詰めていいことは、何一つありません。結果は相手を自暴自棄にさせるだけです。そして事件に発展します。

ですから、サインに気づいてください。見逃さないでください。

早ければ幼少期からサインはあります。

多いのは9歳10歳くらいから14歳くらいまでに、なんらかのサインはあると思います。

この時期、子どもは自分の身のまわりのことができるようになるので、親は少し手がかからなくなって、ほっとする時期でもありますが、物理的な手はかからなくなっても、精神的な手はかかります。

こころはまだまだ発展途上です。

子どもの気持ち(感情)にじゅうぶん寄り添ってください。寄り添い方がわからない方は早めにご相談ください。

とにかく、全員、健全なおとなに育てましょう!

加害者を出さないことが、悲惨な被害者を出さないことにつながります。

誰も加害者にも被害者にもしない社会をつくりましょう!

もちろん、社会の制度、しくみも国会で審議して変えていただく必要があります。公平で平等な人権を守るしくみです。賃金の格差をなくし、利権を私利私欲で手放さない人たちに、もっと全体を考えていただくことや、差別や格差をなくすことも必要です。そもそも国同士が自国の利益ばかり優先して、世界の貧困を無視していることにも問題はあります。しかし、この部分はすぐには変わらないので、もっと選挙に行ったり政治に関心をせることが私たちにできることです。

 

では、いま、私たちにすぐにできること。何ができると思いますか???

答えは、夫婦が仲良くすることです。

仲良くできない人、仕方がわからない人は聞きに来てください。

社会の中のいちばん小さい組織が「家族」です。「家庭」です。

この単位から、平和にしましょう。

ここから争いをなくしましょう。

争いは争いを生み、連鎖します。

ですから、社会の安全、安心、平和を願うのであれば、まず、私たちにできること、それは夫婦仲良くすることです!

DVやめましょう。ののしり合いやめましょう。仲良くしてください。愛し合ってください。感謝し合ってください。

すると、それを見て子どもは育ちます。

良い連鎖が生まれます。理屈では「わかっているけど、方法がわからない」と言う方も多いことでしょう。学校でも家でも教えてもらえなかったからです。お父さんもお母さんも知らなかったことです。学校の先生も知らないことがたくさんあります。実際、人間関係の良い関係のつくり方は知らない人が多いのです。自分の気持ちを伝えるときの良い伝え方がわからない、知らない人が多いのです。わからなくて当然ですが、知った日から始めましょう。(知るには専門家を頼ってください)

 

そして、学校でも先生同士が仲良くしてください。互いに尊重してください。

先生と親も仲良くしてください。先生も仲良くする方法(コミュニケーションスキル)を知らない方はぜひ学んでください。

会社では経営者と社員も仲良くしてください。パワハラ、モラハラやめましょう。

経営者もコミュニケーションスキルを知らない方はそれを学んでください。

 

それを見て子どもは育ちます。

みんなが良いお手本になりましょう。

みんなが良いモデルになりましょう。

自分自身もそのほうが気持ち良い人生を送れますよ!

 

でも・・・だけど・・・ という人は早めにご相談ください。もちろん、私じゃなくてもいいですよ。自分に合ったカウンセラーを見つけて聞いてください。知らないことは教えてもらったほうが早いですよ。

 

そして、みんなで良い社会をつくりましょう。それが自分の安全、安心を守ることになるのです!いちばん良い方法です。

生まれて来たすべての人が、なんらかの形で社会とつながりを持ち、人として認められ、自信をもって生きていけるようにしましょう。希望をもてる社会づくりをしましょう。

そのためには、いまの成果主義、競争主義、人を優劣や勝ち負けで決めつける価値観を見直す必要があります!!

経済の流れを見直すことも必要です。

これを読んだ方がひとりでも多くの方が、事件を社会全体の問題として、考えてきただくことを希望します。