夫婦・親子問題 ああ言えばこう言う人の心理


「ああ言えばこう言う人」について、考えてみましょう!

みなさんの周りにいらっしゃいますか?
ああ言えばこう言う人。 

かなり前(1995年頃)になりますが、「ああ言えばじょうゆう(上祐)」が流行語になったのを覚えていますか?オウム真理教の事件が起きたときでしたね。取材陣の質問に対して上祐氏の回答が常に「ああ言えばこう言う」で埒が明かず、ある記者がそれをもじって「ああ言えばこう言う」のことを「ああ言えばじょうゆう」と言ったのでした。

そうです。埒(ラチ)が明かないのです。

つまり、ああ言えばこう言う人と話していると、まさしく埒が明かない。進展がない。決着がつかない。終わりが見えないのです。 

他人なら「もう面倒だ!」と言って離れてしまえばいいのですが、夫婦や親子では簡単には離れられないことがほとんどです。そのような関係性の中で言われた側はどんどん疲弊してしまいます。モラハラ夫などがそうした例で、妻は疲弊して衰弱してしまうこともあります。

あなたの周りにいますか?ああ言えばこう言う人。

善意に取れば討論志向、議論好き。
しかし、真に討論しているか?議論しているか?と言えば、ちょっとちがう。

★純粋な討論や議論とのちがいは何でしょう?

それは・・・言っていることが「屁理屈」であることが多いのです!屁理屈だから進展がない。終わりがない。

筋の通った理屈・理論であれば「結論」が出ます。しかし屁理屈であることが多い。

なぜ屁理屈で返し続けるのでしょう?

なぜ結論を出さないようにしてしまうのでしょう?

なぜ論点をずらし、結論を出したくないのでしょう?

そのこころは?

1.対抗意識が強い

 ライバル意識とか競争意識とも言います。とにかく負けたくない気持ちが強いのです。相手の話を否定します。いきなり否定します。いったん受け止めることを知りません。こちらに対して何倍もの言葉で反撃してきます。それも屁理屈で言い負かそうとします。話の内容より言い合いの勝ち負けに意識がいきます。

そのこころは?

2.劣等感が強い

 相手に否定されたくない。バカにされたくない。実は自分が自分を「こんな自分はダメだ」と思っている。自分を自分で否定している。自分をバカにして見下している。自分の価値やその存在を自分が認めていないから自信がないのです。それというのも、社会から「優劣意識」を刷り込まれているからです。やはり学校教育のあり方でしょう。

そのこころは?

3.承認欲求が強い

 他者から肯定されたい。認められたい。自分が自分を認めていないので、誰かから、一人でも多くの誰かから自分を認めてくれる言葉がほしいのです。しかし、このケースの場合、他者がどんなに認める言葉、ほめる言葉を与えたとしても、底なし沼のように満たされないでしょう。なぜなら自分が自分を認めていないからなのです。

そのこころは?

4.プライドが高い

 知ったかぶりをする。相手より優れていると見せたい。見せたいのです。少し記憶力が良かったり、頭の回転が速いケースもあります。体裁や世間体を気にします。誇りを持つというのとは異なります。相手が知的なことを言えば、自分も知的な態度や言葉で応戦する。常に優劣の中で生きています。苦しいのです本当は。自分がいちばん苦しいはずなのですが、プライドがそれを認めない。

そのこころは?

5.アドバイスを聞かない

 従いたくない。抵抗する。「どうしてなんだろう?」と自分から相談を持ち掛けてきても、相手が「こうなんじゃないの?」という推測に対してスルー。「こうしたらどう?」という提案に対してもスルー。投げておいて聞かない。アドバイスを求めているようで実は求めていないのです。

そのこころは?

6.誠実に向き合えない

相手と誠実に向き合っていないのです。なぜなら、その前に自分自身と誠実に向き合えていないからなのです。

そのこころは?

7.自分に素直になれない

他者に誠実になれないのは自分にも素直になっていないからなんです。自分に素直になるとは、どういうこと?

自分に素直になるとは、自分の正直な気持ち(感情)を掴み、受け止めることです。それができないのは?

自分の気持ちを見たくないのでしょう。見て見ないふりをします。なぜ?

見てしまったら、認めてしまったら、自分がガラガラと崩れてしまいそうだからです。怖いのです。実はそれくらい感受性が繊細な人に多いことが見られます。しかし、それをも認めないことがあります。(ただ繊細というだけではこのようにはなりません。繊細さに上記のような対抗心・劣等感・承認欲求・プライドなどの高さが加わると起こり得ることです)

人から指摘されることも嫌だ。望まない。

そうなるともう助ける手立てがありません。

 

1.~7.の何が先か?いつから、どこから、そのような人格が形成されてしまったのか?

それは人によって異なるでしょう。ただ、私はいつも思うのですが、誰も赤ちゃんの時からそうだったわけではないのです。要素はあると思います。

だからこそ、子どもの要素(気質)を早く知ることがだいじなんですね。親とは異なる気質もあります。

いま子育て中の人たちには知ってほしいと思って書いています。

おとなになってから人格を修正するのは大変なことです。それこそプライドが邪魔をして他人の指摘を望んでいません。指摘されること自体に「ああ言えばこう言う」で対抗します。

できれば、人格が形成される間で、早い段階でその要素や要因が見つけられたら、どんなに素晴らしいでしょう。未然に防ぐことができます。疲弊する家族を守れます。

そして、良い人格を形成するのに一番大切なことは

1.対抗意識は、自分に向ける。他者との競争ではなく、昨日の自分より、きょうの自分が前進していればいい。

2.他者とは優劣ではなく、対等な人間同士という共同体の意識をつける。(学校でやってほしい)

3.承認欲求は誰にでもあります。幼児のときから何かやり遂げたら当たり前のことでも認めてあげましょう。

4.任されたこと、自分で引き受けたことに自信と誇りをもってもらいましょう。

5.人の意見やアドバイスには耳を傾ける習慣をつけましょう。考えがちがっても一度受けとめる習慣です。

6.正直になること、誠実になることを親がやって見せましょう。良いことだと正しく覚えてもらいましょう。

7.自分の気持ちを掴んだら言葉に出すことを教えましょう。喜怒哀楽を言葉で表現させてみましょう。

 

こうしたことを子どもの発達の早い段階で習慣化していくことがだいじです。学校でもやってほしいですね。なぜなら、「生きにくさ」を抱いたままおとなになった時のことが心配だからです。学童期に良い考え方の習慣をつけていただくと、その後の人生が気持ちの上でラクになれます。40代50代となると、思考の癖を直すことが難しくなってきます。

ただその前に親ができていないと教えることができません。良いお手本になりませんから、今、親をしている人、これから親になる人は、今一度自分を振り返ってみましょう。

自己分析のお手伝いも当ルームではおこなっています。

お気軽にお声掛けください。