2月の家族へメッセージ
最近の出来事で、またまた児童の虐待死がありました。
千葉県野田市の栗原心愛(みあ)ちゃん10歳。
学校のアンケートには、
『お父さんにぼう力をうけています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか。』
と綴られていました。
助けを求めていたにもかかわらず、誰も助けられなかった。
悲しいでは済まされないことです。
まだ、みなさんの記憶に新しい目黒区の船戸結愛(ゆあ)ちゃん虐待死事件もそうでした。
テレビやネットで伝える情報では、事件としての表面だけに囚われて、根本的な解決、予防について語られる時間が少ないことに気づきます。
時間的なこと、記事のボリュームもあって仕方ないのかもしれませんが、それだと「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になってしまいます。
根本的な解決、このような事件が二度と起きないようにするには、なにに注目して、どのような国のシステムづくりが必要なのか?望ましいのか?をじゅうぶん検討する必要があります。
国のシステムづくりは単に役所や学校のルールづくりだけではなく、もっと根本的な「人間教育」のところから見直していくことが最もだいじなことだと私は思います。
DV(ドメスティック・バイオレンス)加害者も、子どもを虐待する人も、学校や職場でいじめをする人も、パワハラ、モラハラをする人も、その人自身は、なぜ自分がやってしまうのか?なぜ自分は感情のコントロールができないのか?その多くは、本人がわからないことがあります。それは生まれ持つ「脳の性質」に関係しているからです。
自分がどういう脳で生まれて来たかった、といくら思っても、それは思うようにはいきません。誰にもわかりません。
遺伝子は先祖のどれがどのように遺伝するかわかりません。見えている部分でさえそうですよね。親と似ている人もいれば全く似ていない人もいる。隔世遺伝もあります。ずっと前の先祖にそっくりなケースもあります。
自分がどんな性質の遺伝子をもって生まれているか、わからないのです。
ただ、人間は一人では生きられない動物です。共存するようにできていますし、社会はみんなで創造していくものです。
そして、一人ひとりには「人権」があります。平和に安心して安全に暮らす権利があります。
その権利を他者によって脅かされることは人権侵害です。そういうことを小学生の頃から義務教育の中でしっかり伝えていくことが必要です。家庭では期待できないものはすべての国民が受けられる義務教育の中で伝えていくことが望ましいです。
そして、早期に「自分を知る」きっかけをつくってあげましょう。
自分自身と向き合うきっかけをつくり、自分を知る、自分を理解する、自分の良さを認める。他者との比較ではなく「良いところ」のハードルを低くする。
どの子どもも、どこで生まれても、どこで育っても、みな人として尊重され、対等な存在なんだということを伝え教える。
生まれてきた意味があることも、その存在にそれぞれ価値があることも伝え教える。
そして、社会は共同体であること、一人ひとりに「ちがい」があっていいことを伝え教える。
その「ちがい」を知り、「ちがい」に寛容になること、「ちがい」とどう折り合いをつけていくかを教える。
そうした中で、子どもの個々に「課題」が見えてくる。見つかる。
たとえば、寛容になれない、ちがいを認められない、ちがいを受け止められない、負の感情があふれてくる、感情をコントロールできない、などの課題が見えてきたら、マンツーマンのサポート役をつける。サポート役が当事者に寄り添い伴走する。
自分のもつ脳の性質とうまくつき合っていくことを学ぶ。トレーニングする。
成長の早い段階であれば、かなりうまくつき合っていけるようになると思います。
すぐには反社会的な行為行動とは決して結びつかないものであっても、その人自身が社会で生きやすくなることが、いちばんの平和と安心です。
一人ひとりが生きやすい社会をつくっていきましょう。
そのために私たちが、今できることは「人に関心をもつこと!」です。
決して傍観者にならないこと。見て見ぬふりはしないことです。
ただの興味本位ではなく、きちんと自分の身内のように関心をもって「人」を見守りましょう。