「生きることは愛すること。」
瀬戸内寂聴さんの座右の銘
さらに、「愛することは、許すこと」だと寂聴さんは解いています。
すると、ゆえに「生きることは許すこと・・・」なのかなと私は考えます。
あらゆる組織、企業内でも、学校内でも、家庭内でも、
人が集まれば、それぞれ異なる考え、異なる意見、異なる習慣があります。
その「異なるもの」ちがいに対して、それをどのように受け止め、
どのように理解し、どのように歩み寄るか?
その答えは、互いに、ちがいに対して寛容になり、
過ぎてしまった出来事を「許し合う」ことではないでしょうか。
すなわち、「生きることは、自分も他者も許すこと」なのかなと思います。
では、許さないとどうなるでしょう?
国と国の争いで許さないとしたら、それは戦争になります。
国は引っ越しができませんから。
会社と自分だったら、会社を辞めるか、会社と闘うか(労使交渉など)
学校と自分だったら、学校をやめるか、学校と争うか。
夫婦だったら、権利を争いながら離婚するか、極端な例で言えば殺人も。
親子だったら、・・・親子は切っても切れない縁があります。許せないと絶縁するか、殺し合いになることも。
恐ろしいですね。
許せない!!この気持ちが続くと、最後は自分の身体も壊します。
そうです。あるのは「破壊」です。
ですから、提案です!
誰のためでもなく、自分のために、怒ってしまった自分も許し、相手も許しましょう!
許せることは素晴らしいこと。人間の成長の証です。
では、怒りはどこから来るの?
怒りの裏には、いろいろな感情が潜んでいます。
寂しい、悲しい、つらい、苦しい、もっとわかってほしい、もっと見てほしい、もっと言いたいことがある、そんな気持ちがあります。助けてもらいたい気持ち、頼りたい気持ち、いろいろです。
そんな気持ちを素直に出せたら、表現できたら、「怒り」という手段をとらなくて済んだのです。
そうです。怒りは気持ちを表すひとつの表現だったのです。
しかし、「怒り」では相手に気持ちは伝わりません。
それどころか、相手も怒りの脅威に怯え、身を守る防衛手段として、ますますこころを閉ざしてしまいます。
関係は悪化するばかりです。
本当はわかりあいたい、仲良くしたい、そう思っていても相手には伝わりません。
勇気を出して、自分の気持ちに素直になり、正直な気持ちを相手に誠実に伝えましょう。
練習が必要な人もいます。
言葉や表現は習慣で身につきますから。
習慣を変えるには練習も時間も必要です。
それでも、やったほうがいい。
自分自身の健康と幸せのために。
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