信頼と不信


人と人とが信頼関係を築くことはたいへんなことですが、壊れてしまうのは簡単なことですね。

信頼や信用、その反対の不信、猜疑心、について考えてみましょう。

1.信頼を築くためには

それにはまず自分という人物を知ってもらう必要があります。
人はもともと疑り深いものだから(それは身を守るため)なかなか簡単には 人を信じないようです。

はじめて会った人にいきなり「困っているんで、お金を貸してください」 と、言われて「はい、どうぞ」とすぐにお金を貸す人はおそらくいないでしょう。
その人がどんな人なのか?何に使うのか?
約束を守ってくれるのか?
いろいろ考えるでしょう。

お金に限らず、ほかのことでも「あの人が言うことだったら本当だ!」とか「あの人が勧めるのだから大丈夫だろう!」と人を見て、話に乗ることはあります。
信じて行動してみる。
それが相手を「信用してる」とか「信頼してる」とかいうことですね。

2.ところが、信じて乗った話がその人にとって、とんでもない話だったら・・・

どうでしょう?紹介してくれた人を信じられなくなりますか?
不信感をもつかもしれませんね。

するとあっという間にこれまで築いてきた信頼関係は崩れ、そこに生まれる感情は「もう絶対信用しない!」 という怒りと「なぜ、紹介した」という 恨み、辛み、憎しみではないでしょうか。

そして、怒りの奥にある感情は悲しさ、寂しさです。
過ぎてしまったことをいつまでも引きずるということは、このような 怒り、憎しみ、辛み、恨みの感情の裏にある悲しさ、寂しさを手放していないことなのですね。

結果はどんな結果であっても自分に与えられたなんらかのメッセージです。

たとえば、私はよく聞いていなかった、よく確認していなかった、という自己責任としてとらえ、次はそういうことのないように教えてくれたんだ、と解釈すればいいですね。

深く責任を感じることはなく「失敗は成功のもと」くらいに思えばいいのです。
どうですか?
出来事に対してはそう思えても、それでも相手に対する信頼は回復しませんか?

3.相手を責めたり、恨んだり、憎んでもそこからは何も生まれません

相手を責め続けるとほかのことが手につかず、考えが停滞してしまいます。
意識がそこに留まってしまうからです。

自分の人生を先に進めることもできなくなってしまいます。
誰のためでもなく、自分のよりよい人生のためにマイナスの感情を手放すことです!
難しいかもしれません。かんたんではないケースもあります。

でも、一度手放したら、その解放感、その素晴らしさに気づくことでしょう。
それが幸せな生き方です。

4.信頼を損なわないためには

それは、お互いの意思の疎通をよくすることですね。確認し合うことです。

言った、言わない、にならないように相手の発言や気持ちをその意図を確認することです。
友人でも夫婦でも親子でもビジネスでもそうです。

確認することです。その作業を怠るとどこかでくい違いが起こります。
「たぶん、そうかな?」「そうかもしれない」これは危険です。

確かめることが面倒くさい、これも危険です。
のちのち大きな問題にならないように面倒くさがらず確認し合いましょう!

人はみんなちがって当たり前です。ちがっていいんです。
そこからスタートです。ちがいをわかり合うために確認します。

聞くことは恥ではありません。聞くことは正直なことです。
たぶんこうかな、きっとそうかな、〇〇だろうで事を運ばないことです。

誤解が信頼を崩す原因になることがあります。
誤解から大切な人を失うこともあります。
くれぐれも誤解のないよう、誤解を防ぐために何度でも聞いて確認しましょう。

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