心理学の歴史


ここでは心理学の歴史を紐解いてみましょう!

現代心理学は19世紀に誕生しました。
心理学の学問はまだ120年くらいしかたっていません。

まだまだ一般に周知されないのは当然ですね。

哲学から

しかし、こころ(思考や感情)に対する疑問
「人はなぜ愛するのか?」「人はなぜ怒るのか?」
「人はなぜ喜ぶのか?」「人はなぜ悲しむのか?」
「こころ」についての興味・関心は古く人類が誕生してまもなくから存在しています。

地球の誕生は46億年前、人類は約1万年前 はじめは原猿類、4千万年ほど前に人に近く後ろ足で立つなどして、600万年前から500万年前になると二足歩行、200万年前になると道具を使っていたと思われるので、このころは意思の疎通をとるため、すでにコミュニケーションをとっていたのでしょう。

私たちと同じ新人類へと進化したのは20万年前くらいだと言われています。
そして、30万年前から5万年前くらいになると宗教の起源を記すものが残っています。
この頃になると人の感情、気持ち、意思は表現されるようになっていたのでしょう。
ただし、現代のように心理学としてではなく、それ(こころの概念)は宗教や哲学からなっていました。
紀元前古代ギリシャでは哲学者ソクラテス、その弟子のプラトンなどによって、ヨーロッパではキリスト教の哲学などがその役割を果たしていました。

17世紀にはフランスの哲学者デカルトが「生得説」を提唱し、以後の心理学に大きな影響を残しました。
現代心理学は宗教や哲学から長い年月をかけ研究や実験を経て形を変えて生まれてきた学問であるといえます。

医学として

実態のない「こころ」の研究・解明には動物や人体の解剖、さまざまな実験がおこなわれ、それによって心理学は生理学的・医学的な観点から急速に発展しました。
19世紀になり医学の発展とともに心理学は医学の一分野として確立されてきました。

現代ではさらに分野は拡大し、医学・教育・多くの産業にと社会に貢献しています。

貢献した人物

心理学の父といわれるヴィルヘルム・ヴント(1832~1920)はライブチヒ大学の哲学部に実験心理学を解説したことから現代心理学の歴史が始まったとされています。
その後、精神分析で有名なジグムント・フロイト(1856~1939)

「劣等感」という言葉を創った個人心理学の創始者アルフレッド・アドラー(1870~1937)
アドラーは今ブームですね。ブームで終わらせないように定着させていきましょう。

スイスの精神科医で分析心理学の創始者ユング(1875~1961)

イギリスの心理学者『社会心理学』の中の本能理論で有名なマクドゥーガル (1871~1938)

アメリカの行動主義心理学者で行動主義の提唱者ワトソン(1878~1958)

投影法人格検査ロールシャッハ・テストを創案したロールシャッハ(1884~1922)

性格分析学を確立したライヒ(1897~1957)

来談者中心療法のカール・ロジャーズ(1902~1987)

私の好きな「自己実現論」のアメリカ心理学者マズロー(1908~1970)と続くわけです。

ほかにもたくさんの精神科医・心理学者が研究・開発に貢献しています。
日本人では森田療法の創始者森田正馬(1874~1938)や日本におけるユング派心理療法の第一人者である河合隼雄(1928~)などが心理学の発展にたいへん貢献しています。

21世紀は

こうしてみると21世紀はまさに【こころの時代】と言えるでしょう。
やっと来たと言っても過言ではありません。待っていた時代です。

人間が人間として成熟する時が来たのです。

それは、今日まで科学、経済、文化と目覚ましい発展を遂げてきた一方で葬り去ろうとされている迷信やことわざ、言い伝えのなかに忘れてはならない「人間の情、こころ」を育てるためのやさしい教えがありました。

社会がそれを葬り去ろうとしたことで、目に見える金品物質の獲得を目的に人々の中に過激な争いが起き、資本主義の競争社会が、優劣をつくり、勝ち負けを明確にして、人々の間に格差、差別をつくりました。
こころが置き去りになることは恐ろしいことです。
その弊害として、本来人はみな対等な関係であるはずが、上下関係をつくり、人が人を支配し、見下し、蔑み、そうされた方は被害者の意識を抱き、こころに傷を負い、怒りと不満を溜めていきました。
いじめがさらにいじめを生み、虐待がさらに虐待を生み、負の連鎖がはじまったのです。

虐待、いじめ、不登校、家庭内暴力、校内暴力、麻薬、ギャンブル、反社会行動、自殺、無差別殺人、これらには、文明の発展と共に「人のこころ」を忘れた社会背景があったのです。

いま、こころの教えを取り戻し「自分さえよければいい」という利己的で殺伐となった時代を私たちの手で変えていくときが来たのだと思います。

戦後の日本は、敗戦で何もかも失い、諸外国に追いつけ追い越せの結果さえよければの結果重視の政策をおこない私たちを恐ろしい競争の渦の中に引き込んでいきました。
競争社会の誕生でした。
近代化、合理化、生産性をあげることばかりに囚われ、人のこころを見失っていました。

IQ重視で、こころの知能指数EQがあまりに疎かにされた結果、その弊害として、子どもの虐待、いじめ、不登校、ひきこもり、パワハラ、DV、自殺、社会不安、対人不安、自分が何をしたいかわからない、夢も目的もわからない、生きる意味もわからない、何をするのも面倒くさい、すべて嫌だ、という若者が増えています。

みんなちがっていいのに、ちがっていいはずなのに、同じでなければいけない、課題がこなせないといけない、できないといけない、教師たちは子どもが一定の水準に達しないと自分が上から責められる、自分が評価されないと考え、それを繰り返す。
もちろん、人道的で素晴らしく成熟した教師もいます。しかし、教育現場のタテ社会は人道的な教師の声を聞かず、外からではわからない相当な闇があるようです。
子どもたちは、こうした強迫観念に脅かされ、みんな気質はちがうのに、持って生まれた才能も遺伝子もちがうのに、ちがいを認めてくれない大人の中で、もがき苦しみさまよい歩くのです。

その結果がいまの社会問題なのです。
出口がわからず自暴自棄になり他者の命を奪ったり、自分の命を絶ちます。

もう、そのやり方はやめて、人間らしい教育、人を大切にする教えを施しましょう。
自分も相手も大切にする、尊重する、敵対視せず、仲間だという教えを施しましょう。

いま、気づいた人から、こころを取り戻す教育を奨励していきましょう!
自分も他者も大切に尊重して、アドラーの共同体感覚で、ルソーの社会契約論でみんなが対等に公平に平等に権利をもち、誰もが平和で幸福に暮らせる社会をつくりましょう。

誰かの犠牲の上に成り立つ幸福はありません。格差があってはいけません。
差別があってはいけません。負の連鎖を断ち切って、良い考え方をつないでいきましょう、誰も加害者にしない、誰も被害者にしない、平和な社会をつくりましょう。