家制度について・・・制度、名残、弊害


家制度について


1.家制度とは、
1898年に施行された明治民法に定められた家族制度を指します。1947年の制度廃止まで続きました。
「家」を単位として1つの戸籍を作り、戸主である家長がそこに所属する家族全員を絶対的な権利をもって統率(支配)する仕組みでした。戸主(家長)は家で一番「年長の男性」と決まっていました。たとえば1つの戸籍に祖父・祖母・父親・母親・男児・女児といれば祖父が戸主で家長です。

2.戸主(家長)の絶対的な権力とは、
家族の結婚や自分の居住(住まい)場所までも戸主の同意なしには自由に決めることができませんでした。
戸主を引き継げるのは、代々原則「長男」と決まっていました。
それゆえに、一家にとって「男児」が生まれるかどうかはとても大切なことで、女児ばかりで男児が生まれないことは大変な問題だったわけです。
嫁に入った女性は男児が生まれないと非難されたと聞きます。
また嫁には相続権すらありませんでした。

3.戸主の権利と義務
戸主は家に所属する家族全員を扶養する義務がありました。会社みたいですね。
権利は「戸主権」といって壮大な権利をもっていました。
●家族の婚姻や養子縁組に関する同意権、家族の入籍や去家(他家への入籍や分家)に関する同意権(家族の居所(住まい)を指定する権利も含む)
たとえば、戸主の同意が得られない結婚は許されないので「駆け落ち」するしかなかったのです。恐ろしいですね。
また戸主は、戸籍から家族を排除することもできました。いわゆる「勘当」です。親から子の縁を切ってしまうのです。現代の改正民法では逆に「親子関係を断ち切る」ことはできません。

4.家督を継ぐとは、
戸主権を引き継ぐことですが、継ぐものは原則「長男」であり、長男がいない場合でも「認知された非嫡出子」の男児がいれば、戸主となる優先順位は摘出子の女児より上になります。
つまり、非嫡出子とは「婚外子」のことで男性が不倫をして家庭外にできた子どもです。その子が男児なら夫婦間にできた女児より家督を継ぐ権利があるわけです。
戸主の相続を家督相続と呼び、戸主権とともに家の全財産を1人で受け継ぐ制度だったのです。
家督相続は戸主が死亡したときだけでなく、隠居したときなど他の事情でもありました。

5.家制度の廃止
1947年(昭和22年)日本国憲法の施行に合わせて、女性の参政権が認められ、それと共に民法の大改正が行われました。これによって「家制度」は廃止され「家督相続」もなくなりました。
亡くなった人の所有する財産は法定相続人に均等に相続されることになり、配偶者(嫁)にも相続権が認められました。現代では、戸主や戸主権という概念はなくなり、戸籍筆頭者は戸籍の最初に名前が書かれている者というだけにすぎません。

 

その名残

詳細はほかにもありますが、現代でもさまざまな社会問題・家族問題で影響を及ぼしているのが「家制度」の名残です。

たとえば「長男が親をみるものだ」とか、逆に「長男だから多くの財産をもらうべきだ」などと考えている人もいます。男尊女卑の価値観もいまだに残っています。

なぜ?

1947年(昭和22年)以前に生まれた人はまだたくさん存命です。最後の年に生まれた人でさえ75歳です。いま100歳の人は家制度があった頃は25歳ですから、制度自体は49年間という短い期間でしたが、親から子へ、子から孫へと、その価値観は無意識の中で脈々と流れているのでしょう。世代間連鎖です。恐ろしいですね。しかも国政にも市政にも70代80代の議員がたくさんいます。影響を受けているのです。

弊害

なんといっても「社会福祉制度」の遅れでしょう。先進国の諸外国に比べて社会福祉の概念が著しく遅れました。それと男尊女卑。ジェンダー平等の意識がなかなか浸透しません。国の政策も変わらないわけです。残念です。

本来、社会は共同体です。仕事も「家事・育児・介護」も社会全体みんなでおこなうもの支えるものですが、家制度の価値観が人々の無意識の中にあると「それは女がやるもの」となります。男性ばかりでなく女性でもそう思っている人がいます。男女問わず「人権」を尊重するなら「やりたい人がやりたいことを選べる自由」が重要です。そして個人が物理的にも精神的にも経済的にも困難にならないように社会全体で支える仕組み、システム化することが肝要です。