人が弱っているときに不安を与えると、人はさらに動けなくなる~孤独から人を守るには~


マインドコントロールの恐ろしさ 

安倍元首相の事件から見えてきた「宗教団体と政治」のつながり。直接的でなくても巡りめぐって、彼は殺人を犯し結果的に安倍元首相は銃弾に倒れることになってしまいました。誰も加害者にも被害者にもしないさせない運動! このような悲劇が起こらないように未然に防ぐには、どこの時点で誰にどんな支援があったらよかったのでしょう。

家族心理学的に分析してみましょう。

加害者は裕福な家庭の次男として生まれる。3人きょうだいの真ん中です。下に妹がいるのですが、彼が4歳くらいでしょうか、そのころ父親が亡くなる(自死)。そのとき母親のお腹には妹がいたそうです。(詳しくは文春オンラインで)

この一家の最初の困難は父親の自死とそれによる母親のショックから始まったようです。

まず、ここですね。父親の自死は防げなかったのか?

父親は優秀な土質技術士、全国各地のトンネル工事の現場監督だったそうですが、あくまで仮定ですが過重労働だったのか?精神的負担が大きかったのか?要因はわかりませんが相談相手がいなかったのか?悩みを打ち明ける思考を持ち合わせていなかったのか、精神的「孤独」だったのでしょうか。労働問題なら労基署へ通報ですが管理職だとそれもしにくいでしょうし、なにが自死の引き金になったかはわかりません。

精神的孤独、心理的孤独は避けたいものです。まわりに人がいても、仕事があっても家族がいても、友人がいても「こころが孤独」というケースがあります。

その人の価値観や習慣で『こんなこと人に言えない。言ってはいけない』またはプライドが高く『弱いところを見せられない』あるいは『恥』だと思う人もいます。

しかし、それは危険です。人間は誰でも弱さを抱えています。だからこそ人間は助け合う社会をつくったのです。

父親の自死の頃、母親はもうすぐお腹の子が生まれる妊婦であればどんなにショックだったか。計り知れません。残された遺族として、母子4人で生計を立てていかねばなりません。ただ、経済的には母親の父(祖父)や父方の伯父が支援してくれたそうです。

それでも、母親は精神的孤独、心理的孤独が募っていったのでしょうか。おさな子を抱えて不安だったのでしょうか。だかたと言って「宗教へ入信する」こととは別です。

ここでも相談相手が必要でしたね。話し相手、打ち明けられる人はだいじな存在です。母親の実の母親はすでに他界していたそうで寂しさやつらさを吐き出す相手がいなかったのか?と推測します。

40年近く前ですから当時カウンセリングは今よりぜんぜん普及していなかったでしょう。(当相談室も開業17年です)専門家に相談する場がなかったかもしれません。しかし、だからといって宗教に入信、まるごと依存することとはまったくの別問題です!

 

ここで、2つの課題が見えてきます。

1つ目は孤独 人間が困って悩んだとき、不安なとき

このような場合、話せる相手がいるかどうか? 打ち明けられる勇気があるかどうか?です。

誰も相談できるような相手がいないケースもあります。また相手がいても友人がいても、自分に言う勇気、伝える勇気、頼る勇気があるかどうかが問題です。

もし自分の中で「こんなこと言ったらどう思われるかわからない」とか、あるいは「言ったってどうせ〇〇と言われるだけだろう」とか、相談する前に決めつけてしまって、言わないことを結論立ててしまうケースもあります。

そうして、どんどん孤独になっていく。孤立する。

孤独や孤立といった寂しいときに、そっと忍び寄る組織があります。それが今回の宗教団体だったのですね。(もちろん健全な宗教団体もあるでしょう)どこで見分けるか? やはり「献金」の要求の仕方でしょう。

だいじなことは、普段から人生のどのステージでも安心して話せる人、信頼して相談できる人の存在が必要ですね。有料ではなかなか相談できないこともありますから、本当は国が税金を投入して相談者からは無料で、相談を引き受ける支援者側には税金で報酬を支払う制度がいいと思います。(現行ではなくはないのですが担当者が継続して深く関わることが難しいようです)

これを救うには、やはり子どもの頃からの「誰も孤独にさせない」国の政策としての連携した国の福祉システムづくりが必要なのでしょうね。と、私は思います。

なぜなら、入信してしまう人の傾向(特徴)として(あくまで傾向ですが)自分に自信がない、不安を抱くとよくない妄想が広がる、思考がループする、葛藤が続くと体力が疲弊する。などが見えます。それは生まれ持つ気質も関係していますが、成育の過程で「ダメ出しされた」あるいは自分自身がハードルを高くして勝手に自分はダメだと思い込んでしまった、などの傾向が見えます。

このような心境のところへ、向こうからやさしく声をかけられゆっくり話(気持ち)を聴いてくれたらもうそれだけで安心して気を許してしまうでしょう。

ですから、向こうから来ることに注意です。自分から探しましょう!探すときもいろいろな人に聞いてみるといいですね。 なんでも一歩踏み出す勇気は必要です。

 

2つ目は盲目 家族が宗教などにのめり込んでしまったとき

人は不安が強くなったり「どうしていいかわからない」という時に「藁をもすがる」という諺があるように、近づいて来るものにすがりたくなる心境になることがあります。個人差はありますが。

不安がどんどん強くなっている状況で、『寄付しないともっと酷い目に遭う』なんて脅すことを言われたらイヤですよね。さらに不安が増して不快な気持ちになります。ここがポイントなんですよ。不可解なこと、不快なことを言う人からは早く離れることがだいじですね。

今回の事件の宗教団体は『サタンが来る』というような脅し文句を使って洗脳していたようです。

ただ誰でも脅かしに乗るわけではありません。これも事実。やはり、脅しに弱いタイプ強いタイプがありますから個人差があります。自分がどちらかというとどんなタイプか知っておくこともだいじです。

親切そうに見えても、このように脅かす言葉、不安をさらにあおる言い方をする相手は要注意です。脅かして言うことを聞かせようとする、従わせようとする行為は決して良い行為ではありませんね。ここで気づくと深みにはまらなくていいかもしれません。

※これは親でも教師でも医師でも職場の上司でも「脅かす言葉」で従わせようとする人はいます。この場合、言う人は「良いと思って言った」というケースも多いのですが、言われたほうは恐怖や威圧を感じることがありますから、言い方や伝え方を学んでほしいですね。

『サタン』『悪魔』などの言葉で言うことをきかないと酷い目に遭う、もっと不幸になるなどと脅威を与え、人を動けなくしてしまう、脱会できなくしてしまう行為は許されるものではありません。

ただこう言うと『騙されるほうが悪いんだ』とか『信じてしまうほうがよくない』と言う人もいます。しかし、それは人によって生まれ持つ気質(遺伝子的なもの)がちがうので一概に言えないのです。騙されない人から見ると騙される人の心理がまったく理解できないと思うのですが、個々に気質がちがうのでそういうことがあるのです。

ここでも早いうちに信頼して相談できる人がいると、洗脳される前に気づけたかもしれませんね。

予防には、これら2点を政府と地域と市民が連携して事件を未然に防げるシステムを構築していくことです。

自分でできる予防は、自分とは考えや感覚のちがういろいろな人たちとも話をする。ここも勇気が必要ですが、一歩踏み出す勇気があなたを自分で救うことになるのです。

 

自分と家族を詳しく知ること

1.自分も家族もそれぞれちがいます。お互いにどんな気質をもっているか?知ることがだいじです。性格テストなどいろいろ資料がありますから試してみましょう。敏感か鈍感か?不安に強いほうか弱いほうか、臆病かそうでないか、この辺が重要です。

2.なんでも話せる相手はいるかどうか?専門家を知っているか?困ったときにどこへ相談したらいいかを押さえて置くこと。

3.日常から自分の無意識の思い込み、決めつけ(アンコンシャスバイアス)はどんなものがあるか?書き出してみましょう。自分と家族の思い込みや決めつけを知ることと、それとはちがう意見や考えを広く知ることで、人生の選択の幅がぐんと広がります。しあわせな人生を歩みましょう。

無意識の思い込みはこちらでも学べます。

 

そして、政治家や政党は、いくら組織票が欲しいからと言っても、このような宗教団体と一切の関係を持たないことが重要です。政治はきちんとしたマニフェストを公表し賛同者を集めましょう!

 

 

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