宗教と依存症~なぜ盲目的になってしまうのか?考えてみましょう~


7月に起きた安倍元首相の殺人事件から宗教法人のあり方が問われています。

人々の宗教や信仰の自由は法的に認められていますが、教団は一つの「組織」ですから組織については、どんな組織か、入る前にしっかり調べることが必須だと私は思います。何の組織もそうです。就職のときもそうですよね。あえてブラック企業には入りませんよね。気づかなかった、わからなかった、というケースがほとんどですね。団体の経営目的、運営の仕方、資金、献金、お金はどんな流れになっているのか?私たちには知る権利があります。

 

どうして多額のお金を寄付してしまうのでしょう?

寄付と言ってもいろいろあります。たとえば、NGO、NPO、など社会貢献事業でさまざまな団体が寄付を募っています。「児童虐待防止全国ネットワーク」「ワールドビジョン」「赤い羽根共同募金」「日本子ども支援協会」「あしなが育英会」などなどたくさんあります。当相談室も収益の一部を児童虐待防止運動などに寄付させていただいております。このような寄付は「目的」が明確で集めたお金の収支もきちんと公表されています。

しかし、宗教法人は他の法人と異なりますし、宗教法人への寄付は主にその教えを広め信者を増やすことにありますが、たくさんある宗教法人の中には、表面の名目上と実態が異なる場合があります。オウム真理教がその実例です。今回の旧統一教会もそのようです。

※宗教法人 宗教法人は、宗教者と信者で構成される、法人格を取得した宗教団体の事である。 持分が全くなく、営利を目的としない非営利団体で、文部科学大臣もしくは知事が所轄庁である広義の公益法人の一つ。

高額な金銭を支払ってしまうその心理は

依存です。宗教依存症というものがあります。

※宗教依存症 自分自身の責任のもとで物事を決断し、問題を解決しながら生活をしていくことを放棄し、全ての物事の判断を宗教に委ね、自分自身では物事が解決できない状態、依存している人のことである  by Wikipedia

私たち人間は、子どもからおとなになる成長発達過程の中で、主体性や自律性や自主性や自己同一性などを獲得していきます。そして、自らが自分の考えで判断でものごとを選択し決定しながら人生を進めていきます。おとなになるということは、この判断力・決断力に社会性が伴い、社会規範の中で共同体として生きていけるようになるということなのです。

ところが一定数の人はそうはいかないケースがあります。

誰のせいでもありません。みんな知らない、わからないのです。

誰がいいとか悪いとか、そういうことではなく、生まれ持つ気質(遺伝子的な)と育ちゆく環境の中で融合されるかのようにそうした人格がつくられてしまうことがあります。どのタイミングかもわかりません。

カルト集団は、そうした弱い立場の人、自分で自分を守る判断を失っている人を狙っています。彼らはよ~く知っているのです。わかっているのです。

人の心理をやってはいけない方法で誘導操作するのです。マインドコントロールです。巧みです。ほかのビジネスでも価値に見合わない高額な商品を売りつけるときと同じです。彼らなりの落としどころを知っていますから巧みな話術で落とすわけです。

カルト集団は『これを信じないとこんなに悪いことが起こる。』などと言って脅かします。そう脅かし。恐喝です。すぐにそうするわけではなく、はじめは良好な人間関係をつくります。カルト側の人間が弱い立場の人をいたわり、やさしくして寄り添いながら信頼を築いていきます。

人は親切にされたり自分を肯定され認めてもらうと嬉しくなります。喜びになります。そういう関係をしっかり構築したあとで、脅かしに入るわけです。やさしく脅かすわけです。サタンと言っていましたね。サタンなどはいないのですが、あたかも存在するかのように見せて洗脳していくわけです。

催眠もすべての催眠は自己催眠と言われるように自分で自分が催眠にかかっていくわけなのですが、宗教のマインドコントロールも宗教者との間に厚い信頼が構築されているので自らかかってしまうのです。

そこが摘発に困難なところですね。

もともと不安を強く抱きやすい人に恐怖を与えると思考停止になります。思考停止の状態に救いの手を差し伸べるわけなのです。信仰や寄付で貢献することを教えるわけなのです。藁をもすがる思いですぐに飛びつきますよね。この手口なのです。

 

対策は

家族やまわりの友人は、少しでも早い段階で、気持ちに寄り添ってあげることです。カルト側以上にやさしく気持ちを受け入れてあげることがだいじです。時間をかけて気持ちがこちらに向いてもらうためにじゅうぶん聞き役になることです。まさに受容と共感です。無理に引き離そうと焦って怒ると逆効果です。

 

予防するには

こうなる前、ふだんからの家族間の人間関係を良くしておくことです。風通しをよくしてなんでも話せる、相談できる関係にしておきましょう。それには寛容さが必須です。家族に『こうするべき』『こうでなきゃダメだ』と一方的に価値観を押し付ける人がいると、話したくても話せなくなり距離を置きたくなります。するとカルト集団は喜んで近づいてきますよ。

気質として、他者の言うことに従順でノーと言えない、自分では決められない優柔不断であるとか、自他の分離ができていないとか、考えてもいいことと考えて仕方ないことを分けられないとか、予期不安(まだ起きていないことへの妄想から不安になる)が多いとか、済んでしまったことを後悔しやすい、いつまでもクヨクヨと後悔しているなど、そのような傾向があるケースは注意しましょう。

自分がそうだと思ったら、改善のための思考のトレーニングをおすすめします。

何を信じるか?それは自分自身の可能性です。自分に与えられた能力を信じる。自分に巡ってくるチャンスを信じる。信じるモノは自分自身です!子どもの頃からの自己肯定感はだいじですね。自分を好きになる。自分を認める。これは育っていく中で獲得できます。すると勇気が出る。他者と比べない。自分にOKを出せる。親をはじめとする周囲のおとなたちが子どもをちゃんと「人として尊重して考えや行動を認める」ここから自己肯定感は育ち獲得できるのです。おとなになって欠如している場合はいつからでも遅くないのでトレーニングで獲得しましょう。時間はかかっても獲得しましょう。自信と勇気をもつことができると悪質な勧誘にも惑わされず、自分の意見を言えるようになります。

 

家族にそういう傾向の人がいたら、専門家への改善トレーニングをすすめるか、行きたくないと言われたら家族がレクチャーを受けて、見守りの仕方を習得してください。


宗教に限らず、何かに盲目的にハマってしまうことは、それがたとえ自分にとって良いことであったとしても、客観性を失ってしまうことはリスクがありますね。

たとえば家族の中で。夫婦。親子。どちらかが自分の趣味や仕事に盲目的にハマってしまったとしたら、相手はどうでしょう?家族というのは時間も共有、お金の使途も共有が多いですね。夫婦でお金は別というケースもあります。また家計費は共同で自由に使えるお金は別にしているケースもあります。それぞれの家庭で納得していればどんな形でも自由でいいのですが、どちらかが、誰かが、不満を抱いてしまうと、その原因のひとつに相手から見て『あなたばっかり〇〇している』ということになります。

そうならないうちに、早めのご相談を!