12月の家族へメッセージ【年末の義理の家族との関係】


【年末の義理の家族との関係】

2020年も最後の月になりましたね。またコロナ感染が広がる中、みなさんはいかがお過ごしですか?

毎年、年末年始が近づくと家族こころ相談室Fairyには増えるご相談があります。
それは、嫁姑問題です!

結婚して双方の家族が増えた!親類が増えた、うれしい!となればいいのですが、中には、夫の親と結婚前から合わない、考え方がちがう、否定された、言葉に傷ついた、など不仲になってしまった人もいらっしゃいますよね。

「会いたくないな~」「憂うつだな~」「子どもにも会わせたくないな~ なに言うかわからないから」こんな思いを抱えていませんか?

年末年始の帰省に伴って起こる問題ですね。 今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から帰省は避ける傾向にありますから、当面の悩みは少し軽くなるかもしれませんね。

それでも、結婚している以上は、夫の親は義理の親になるわけで親類として冠婚葬祭の折にはつき合うことになります。(縁を切ってしまうケースもありますが)

結婚は、本来二人の出来事であって「家」同士の出来事ではないのですが、傾向としては地方へ行けば行くほどその傾向は根強く残っているように思いますね。都会でもその親の年代やそもそもの考え方によるところはあります。

では、なぜ、結婚が昔は家同士の結婚だったのでしょうか?

◆家制度の名残?

それというのも、日本は欧州の先進国に比べて、社会保障制度、社会福祉制度というものがかなり遅れています。社会制度の遅れは「家制度」が1947年まであったからなのです。

家制度とは、1898に施行された明治民法に定められた家族制度をいいます。「家」を単位として1つの戸籍を作り、そこに所属する家族をリーダーたる戸主(家長:最年長の男性)が、絶対的な権利をもって統率する仕組みでした。また戸主を引き継げる(後継ぎ)のは長男と決まっていて、男児を産むことが嫁に課せられ、この頃に女性には参政権もなく、嫁には相続権すらありませんでした。人権無視の不平等、不公平、男尊女卑が極まりなかったのです。参考記事

1947年(昭和22年)に家制度は廃止されました! 今から122も前の制度で、日本国憲法の施行により廃止になったのですが、恐ろしいことにこの考え方だけは世代間連鎖して、昭和の人の意識の中に根深く残っていることがあるのです!! なんと平成生まれの人の中にもあるんです。

そうですよね。よく考えてみると、廃止になった1947は、たった73年前なのです! 私が1954年生まれですから、私の亡き祖父母・亡き父、母(90歳)はどっぷりこの考えに洗脳されていたわけです。

それでも柔軟に臨機応変に考え方を新しく改めることができる昭和の人たちもたくさんいます!ちなみに私は小学生の頃から「この家制度は人権無視だったのではないか」と感じていました。

しかし、旧制度に疑問をもたない人、名残りを常識と思ってしまうケースでは、嫁に対する考え方に偏りや歪みが生じて言動などの対応にも歪みがあり、「親は絶対である」「親には逆らうな」など、上から目線で、自分たちもそうして従ってきたからと、それを子どもにも押しつけています。

親だからといって無条件にえらいわけではなく、人権について何も知らない人もいます。実際、家庭内暴力や児童虐待もあるわけです。親になる学校があって親になるわけではないので、親は絶対であるという考え方は、親の権限を誇示して老後の生活や面倒をみさせようとしていたわけです。(社会福祉制度がなかったから)不安だったのでしょうね。

不安だからと言って脅かしで言うことを聞かせようなんていうのは、あまりにも人間のこころ(気持ち)を知らなさ過ぎです。

そういう考え方や意識から嫁姑問題に発展することが見られます。

 

◆もうひとつは過干渉

他の要因として考えられるのは、夫の母親の過干渉です。母親の息子への愛が強すぎる場合、それは真の愛とは言えず、母親の自己愛であると言えるケースが見られます。

そうなってしまうにはいくつかの要因があります。息子に執着してしまうのは親子の分離がスムーズにいかなかった。息子への執着は父親の存在が家の中で感じられない状態だった。仕事が忙しく父親不在が多かった。母親の意識の向く先は子どものことばかり、自分自身に向かなかった。などがあります。

その結果、息子の成果が自分の成果。息子の失敗は自分の失敗というように、母親は自分の人生を生きていなくて息子の人生を生きている、分離できず依存状態にあるケースです。自立の反対は依存です。まず母親の意識が自立して自分の人生を生きることが必要です。

 

◆さらにもうひとつは、嫁(妻)側のなんらかの課題

この場合は、はじめは嫁姑問題に見えますが、嫁姑というより、やがて夫婦問題に発展します。近年男性(夫)からのご相談が多いのはこのケースです。

私がよく言う「結婚のメリットは、お互い自分の課題に気づくこと」と、みなさんに伝えていますが、いっしょに暮らすことで自我が出ます。外も内もあまり変わらない人なら結婚前も後も変わらないでしょう。

しかし、誰でも「よく見られたい、よく思われたい」気持ちがありますから、同居するまでは隠します。ところが、同居して暮らしが始まると「あれ?こんなはずじゃなかったのに・・・」ということがお互い起こると思います。

話し合って譲り合えるくらいのちがいであれば問題ないですが、そうでなかった場合、どちらかに強い「認知の歪み」「思い込み」「決めつけ」「過度の不安感」などがあるケースでは、簡単には解決しません。

このケースでは夫以外の人に会いたくない。夫の家族にどう思われるか気になる。あるいは夫の家族に言われた何気ない一言でものすごく傷ついた、などから夫の実家には行きたくない、行かない、というケースです。

気づいたことは良いことですから専門家といっしょに改善していきましょう!

いつもお伝えしているように「だれも悪くない」のです。みんな知らないだけなのです。人間は自分しか知りません。自分のことも掴み切れていないこともあります。人のことはわかりません。

生まれ持つ気質など到底わかりませんし、どういう気質で生まれてきたいと思ってもその通りになりません。

ですから、だれも悪くない。お互いのせいにしないで、ここからどうしていくことが良いことかだけ、集中して取り組んでいただければいいのです。

◆子どもの人生は子どものもの

親子でも人生は別です。育児の目的は「子どもの自立」です。社会に還元することです。還すことです。回っているのです。独立した子どもが家庭をつくり、家族を増やし、子育てをして大人にする。大人になった子どもは社会に出る。そしてまた愛する人と出会って家庭をつくる。

子どもが精神的にも経済的にも自立したら、子どもの人生は子どものモノ。親の人生は親のモノ。分けて考えましょう。

助け合うのは他人同士でいいんです。「遠くの親戚より近くの他人」というコトワザがあります。人類はみなきょうだい、とも言います。地球という一つの家にみんなで住んでいるのです。地球人同士仲良く助け合っていきましょう。

そして、そのために、社会福祉・社会保障の制度を高めることが重要なポイントとなります。

そのためにも私たちがおこなうことは、国の制度の問題などに関心をもっていただくこと。制度を決めるのは国会ですから私たちの代表である国会議員を選ぶときには、私たちの望む社会を創ってくれる約束をしてくれる人になってもらいましょう。

 

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